资源简介 (共30张PPT)第九課 伝統芸道日本文化导读目 次一、新しい語彙二、本文 1.茶道 2.華道 3.書道三、問題新しい語彙数寄 (すき) 风雅之道(特指茶道)経緯 (けいい) (事情的)经过茶頭 (さどう) 司茶人一服一銭 (いっぷくいっせん) 一杯茶一文钱一期一会 (いちごいちえ) 一瞬机缘,一生一遇寝殿造 (しんでんづくり) 寝殿式建筑書院造 (しょいんづくり) 书院式建筑 一、新しい語彙立花 (りっか) (中心树枝)立正式插花法投入花 (なげいればな) 自然式插花法盛花 (もりばな) 盘(篮)中插花法フラワーデコレーション (Flower Decoration) 花卉装饰写経 (しゃきょう) 抄写经文唐様 (からよう) 中国式书风和様 (わよう) 日(和)式书风一、目次へ1.茶道二、◆ 喫茶の流れ◆ 茶道の精神◆ 千利休本文お茶を点てる目次へ1.茶道二、◆ 喫茶の流れ茶を飲む習慣と茶の製法は遣唐使によってもたらされた。茶の栽培が普及すると茶を飲む習慣が一般に普及していった。聞茶や賭け事を楽しむ茶会が開かれるようになった。奈良時代以降鎌倉時代南北朝、室町初期一服一銭1.茶道二、◆ 喫茶の流れ茶は地方の特産品となって、茶の製法も工夫されるようになって、煎茶と抹茶という二通りの飲茶の風習が成立した。江戸時代最近では健康的な飲み物として各種のお茶が再び脚光を浴びている。野点1.茶道二、◆ 茶道の精神一期一会侘び寂びこの一時が生涯にたった一度限りのものであることを大切にしようという意味である。侘び 寂びの根底にあるのは「不完全を美しいと思う心」である。1.茶道二、◆ 茶道の精神和敬清寂敬清和寂 和合、調和、和楽の意で、互いに心を開いてお茶を楽しむ精神である。 静寂、閑寂の意、何事にも動じない心を持つということであり、空や無といった、禅の究極の根本思想でもある。他人を敬愛する心である。 清潔、清廉の意で、物と心が清らかであることである。1.茶道二、◆ 千利休 千利休(1522年 1591年)は室町時代から安土桃山時代にかけての茶人で、茶道の大成者であり、千家流の開祖でもある。16歳で茶の道に入った。18歳の時に当時の茶の湯の第一人者武野紹鴎の門を叩いた。23歳で最初の茶会を開いた。千利休1.茶道二、◆ 千利休村田珠光武野紹鴎千利休村田珠光から武野紹鴎を経て千利休が完成させることになった。侘び茶1.茶道二、◆ 千利休目次へ 「天下一の茶人」の利休は秀吉の怒りに触れて、切腹を命じられて、自害した。利休の死後、彼の子孫らによって千家の茶道は受け継がれ、表千家、武者の小路千家、裏千家などの流派が生まれた。利休の茶の湯は、簡素な中に精神性の高さを追求する。2. 華道二、◆ 華道の歴史◆ 華道の流派◆ 現代社会に生きる華道の心本文目次へ二、◆ 華道の歴史2.華道仏教とともに日本に伝わってきた供花の思想が一般化されていった。「たてはな」という最も古い生け花の様式が生まれた。池坊専応によって確立された立花が大成された。室町時代「立花」が最盛期を迎え、町人社会にも広く普及し、それにと伴いが生まれていった。安土桃山時代江戸時代平安時代二、◆ 華道の歴史2.華道明治時代現代武家に依拠していた華道の流派は大きな打撃を受け衰微したが、「投入花」 「盛花」という自由なスタイルが注目されるようになったことで、新しい生花の流派を始める人々も現れた。大正時代形式にとらわれず、かなり自由な型の生け花も多くの人々に好まれている。「盛花」がさらに注目を集めていて、洋花を使った形式が華道に新たな息吹を与えた。二、◆ 華道の流派2.華道池坊小原流草月流二、◆ 華道の流派2.華道「和」と「美」の精神の下、立花、生花、自由花の三つの型で花を生けることを教える。華道の最古かつ最大の流派であり、500有余年の歴史を持っている。立花池坊12二、◆ 華道の流派2.華道1「盛花」とは、口の広い水盤に花材を盛り飾るように生けていくものである。流祖の小原雲心は明治の終わり頃、西洋の草花を取り入れ、「盛花」という、新しい形の生け花を案出し、一流を成した。2盛花小原流 二、◆ 華道の流派2.華道草月流は「型」にとらわれることなく、常に創造的で自由にその人の個性を映し出そうとする。1927年、初代家元勅使河原蒼風によって創出された。草月流の生け花草月流12二、◆ 現代社会に生きる華道の心2.華道華道の中には、日常生活に関わる日本人の基本的価値観である作法、礼儀、感謝の気持ち、挨拶などが継承されている。例えば、華道が持つ特徴の一つとして「しつらい」という考え方が「おもてなし」の心の一種である。相互の交感を促進するような現代文化の大切な一面を、花道は担っている。目次へ3.書道二、◆ 漢字 仏教と書道の始まり◆ 万葉仮名の誕生◆ 三筆 三蹟の登場◆ 平仮名文化の隆盛◆ 書道諸流派の形成◆ 近代以降の発展本文目次へ二、◆ 漢字 仏教のと書道の始まり漢字が伝わった時期は弥生時代にまで遡るが、日本で作られた銘文を有する最古の遺物は5世紀前半ごろのもので、古代の日本人は早くから漢字と出会いながらも、その時期まで特別に文字を必要としていなかったらしい。その最古の銘文にはすでに万葉仮名と同種の漢字使用法が見られ、書体は隷書から楷書への過渡期のものが使われていた。隷書3.書道楷書二、◆ 漢字 仏教と書道の始まり飛鳥時代の聖徳太子、奈良時代の聖武天皇によって仏教の写経が流行し、それを機に日本の書道は急速に発展した。遣隋使や遣唐使により日本で唐様の書風が流行した。3.書道写経二、◆ 万葉仮名の誕生奈良時代に完成した『日本書紀』は日本独自の「万葉仮名」という漢字の用法で書かれている。万葉仮名は元の漢字の意味を捨て漢字の音だけにより日本語を表すという仮名文字の元型である。万葉仮名を簡略化することで片仮名が発明され、主に漢文の訓点を付けるのに用いられる。3.書道万葉仮名二、◆ 三筆 三蹟の登場平安時代初期に活躍した三人の書家、空海 橘逸勢 嵯峨天皇が「三筆」と呼ばれた。10世紀頃には漢字をさらに穏やかで柔らかく、「和様」と呼ばれる書体が生まれた。和様体を創った書家小野道風と、藤原佐理、藤原行成らと共に、後世「三蹟」と並び称される。3.書道小野道風二、◆ 平仮名文化の隆盛平安時代当時の日本では、公的な場で用いられるとされた漢字を女性が学ぶ必要は一般に認められていなかった。そんな事情から、「女文字」とも言われる平仮名が草仮名を簡略化する形で考案された。和歌が流行し、平仮名を用いた仮名書道の黄金期を迎えた。和様と並び「禅宗様」が盛んになった、その他に、法性時流が流行したり、宸翰様と呼ばれる書風が生まれたりということに加え、「漢字仮名混じり」の文章は一般的になった。3.書道和歌二、◆ 書道諸流派の形成室町時代に型にはまった書風のものが多くなった一方、床の間に飾るなどの方法で書を鑑賞することが一般的になった。江戸時代に入ると御家流は公用書体に採用され、庶民にまで広まっていた。3.書道二、◆ 近代以降の発展目次へ明治時代に入ると、唐様の書風が重んじられ、漢魏六朝の碑帖の影響により六朝書道が盛んになった。大正時代から昭和初期には、大規模な書道団体の結成、書道刊行物の発行、展覧会が盛んに行われた。昭和後期以来、書道が「二科展」に参加するなど芸術の一分野として認知されている。3.書道二科展の会場(2019年、京都市 市美術館別館)問題三、次の各問いに答えよ。(1)茶道という言葉はいつ登場したか。(2)喫茶の習慣は日本でどのように広がったか。(3)抹茶と煎茶の違いを説明せよ。(4)茶道の発展に貢献した人物を三人挙げよ。(5)立花は誰によって確立されたか。(6)華道の最古かつ最大の流派は何派と呼ばれているか。(7)盛花にはどんな特徴があるか。(8)和様の書体の特徴とは何か。(9)三筆及び三蹟と呼ばれる人々の名前を挙げよ。(10)女手と男手とはそれぞれ何を指しているか。目次へご清聴ありがとうございました。 展开更多...... 收起↑ 资源预览